気が付けば、2023年も12月になった。
毎年のことながら、「また来たな」と思う。
毎年のことながら、12月の感覚は他とは違うものがある。年末だからね。
11月から12月になる。クリスマス、そして、年末。
そういうものに向かって、街全体が数cmほど浮いているように見える。
錯覚か、あるいは、幻想だと思う。
今年は、なんとなく芸能人、著名人の訃報が多かったように思われる。
子どもの頃には、そういう感覚はなかった。
というのは、たぶん、錯覚か、幻覚だと思う。
子どもの頃には、芸能人や著名人を多くは把握していない。
せいぜい、興味のある分野の有名人程度だろう。
大人になるほど、年齢を重ねるほど、既知の著名人の数は増える。
関心のない分野の著名人の名前も記憶していくことになる。
そして、その著名人は自分よりも年齢が上のことが多い。
そうなると、例え健康であったとしても、寿命がくる順番は私よりも早い。
従って、既知の著名人の数が増えるほど、訃報に接する確率も高くなる。
それが、自然の摂理だ。
大人になると、「いつまでも、お元気で」が社交辞令だとわかる。
子どもの頃は、純粋にいつまでも元気でいてほしいと願っていた。
成長すれば、そういう訳にはいかないことは感覚的に理解できる。
それは、ある種の優しさかもしれない。
「また会いましょう」と同程度のやさしさだ。
そういった類のささやかなやさしさがあっても良い。
この時期になると、街中にはイルミネーションが増える。
ほかに電力の使い道があるのではないか、という言葉は控えよう。
太陽光発電の可能性がある。
冬の澄んだ空気だからこそのものなのかもしれない。
或いは、12月の淋しさを紛らわせるための演出なのかもしれない。