
黒磯駅前の図書館に併設されているイベントスペース、みるる。
図書館マニアとしては、目を見張るものがあった。
建築デザインとしても、見ごたえのある素晴らしい空間だった。
残念ながら、2階建ての1階部分しか見る時間がなかった。
日を改めて、行ってみたい。
蔵書も良かった。写真、美術関連の書籍もたくさんあった。
立松和平のサイン本があった。その隣に、岡本太郎。
リヒター(ゲルハルト・リヒター)もあった。
1日いても飽きないはず。カフェも併設されている。
ホットサンドが、おいしかった。

2024/02/10(土) の午後。
そんな みるる で、デジタルガジェットのイベントが開催された。
その名も、DGで遊ぼ。直球である。
第1回目の開催だったらしい。盛況だった。
はたから見ても、大成功だったのでは?
もちろん主催者からすれば、いろいろ直したいところがあったと思う。それは、プログラムと同じだ。
完成に近づくことはあっても、完成することはないのだろうな、という気もする。
ちびっこも、元ちびっこも楽しく交流されていた。
電源は、直流が多かった(理系ジョーク)。
いつもの CoderDojo古河 のメンター仲間に誘われたのがきっかけ。とってもたのしかった。X(旧Twitter)のなかで、交流をダイオードを使って整流している皆さんともお話しできた(ハンパです)。
これは、伝わらなくてもよい。
事前にホームページで見ていた作品や、Xのポストで拝見していた作品を実際に、試させてもらった。やはり、実物にはかなわない。
写真や動画でも感動できるのだけれど。
これは、美術などほかの分野にも通じるようだ。教科書や本でみる有名な絵画も、実際に目の当たりにすると印象も変わる(良くも悪くも)。
それは、本物のもつ力だろう(なにをもって本物とするかは、難しい)。
CoderDojo古河 仲間の出展していた micro:bit のシューティングゲームがウケていた。すみっコに置かせてもらった micro:bit のルーレットなやつもそこはかとなく反響が得られた。よかった。まぁ、こちらはオマケなのでよいのですが。
さて。
(たぶん、)主催者の方とお話した中に、印象に残ったフレーズがあった。
楽しんでいる大人の姿を、子どもたちに見せたい
これは、学びの神髄だろう。学ぶことは真似ることだといった先人がいた。
子どもたちに草臥れた大人の姿を見せるよりは、楽しんでいる大人の姿を見せるほうがよい。楽しそうな大人の姿を見せれば、子どもは、興味を持つ。
すべての子どもがそうだとは言わない。興味を持つ子もいる、ということ。
興味をもつことは、すべての始まりだ。
こちらが提示しても、興味がなければスルーされるだけだ。
興味をもてば、こちら(大人)の事情はお構いなしに集中力を発揮する。
子どもにはその特権がある。基本的には、大人よりも自由になる時間が多い。
いまは、塾や習い事もたくさんあるので、そうはいかないかもしれないけれど。子どもの権利は、自由になる時間の中にある。
何にも縛られず、考えることは自由だ。思考のなかであれば、何をしてもよい。
何を考えても良い。行動に移すことと思考することは、別のものだから。
プログラミングは、自由だ。
そして、平等である。これは、コンピュータと範囲を拡大してもよい。
老若男女、障害の有無も関係ない。国籍も性別も年代も関係ない。
そういうものでしょう?
1996年頃に、我が家にFMV-DESKPOWER SE (Win95)がやってきた。
そのときに、インターネット、コンピュータ、プログラミングに触れた。
これは、PCを使うことができれば、障害の有無に関わらず、国籍も関係なく、さまざまな人とコミュニケーションが取れるようになるのではないか?
そんな予感を得た。
もちろん、功罪がある。プラスがあれば、マイナスもある。
それは、どんなものにもある。包丁にも火にもある。
車にもある。鉛筆や消しゴムにもあるだろう。
プログラミング(あるいは、PC)も、道具なので功罪もある。
すべては、使い方次第だ。
その功罪を子どもに伝えることは、大人の役割である。
そして、それは、大人が真剣に遊ぶ姿から学べるのではないか?
という気がするのだけれど、いかがだろうか。