色と色覚とわたし

あなたを愛するため、というわけではないけれど。

突然ですが、質問です。
Q:虹の色は何色でしょう?
A:◯◯色

多くの日本人は、7色と答える(と思う)。
これが世界に目を向けると、さまざまな答えになる。
ウェザーニュースの中にコラムがあるので、ぜひ、参照されたい。
https://weathernews.jp/s/topics/201710/310135/

さて、ここで、素朴な疑問に当たる。
本当に7色だと思っているのだろうか?一般に7色だと「言われている」から7色だと答えている人はいないだろうか?
虹の色はアナログ(連続)なので、数えきれない。無数にある。
認識できるかを別とすれば、もう大変な数の色が含まれている。
あくまでも7色は、便宜上の代表値と言える。
音は連続だけれど名前がないと不便なので、ドレミファソラシの名前を付けたのに近いと思う。同じ7種なのはただの偶然だろう。

上で紹介したコラムにある通り、国によって虹の色の数は異なる。
これは、もっと小さなスケールでも虹の色の数が異なる場合がある。
つまり、「ヒト」によって異なるということ。

突然だが、わたしは、色弱である。東京の大学病院で、確定診断を行った。石原式、パネルD−15、アノマロスコープで検査をした。
それぞれどういうものかは、ネットを検索すればすぐに見つかる。
結果は、2型3色覚(D型の弱;D弱、Da)というもの。このアルファベットによる識別は、CUDO(カラーユニバーサルデザイン機構)が提唱している呼称である。

元々、小学生の頃には分かっていたことである。
そして、祖父が色弱だったことは母も認識していたので、そのことは何かの際に聞かされていた。その検査の時だったのかもしれない。
記憶の中で石原式をみた最も遠い幼い頃の記憶は、小学4年生の頃の学校での集団検査の時だった。当時は集団検査だったので、一通りの色弱あるある体験は経験したと思う。詳しくは省略。

つらつらと書いたけれど、一言で言えば、「わたしは色弱です」ということである。

ところで、「多様性」という言葉をよく耳にするようになった。
子どもの頃には、聞いたことがなかった言葉だ。存在はしていたのだろうけれど、小中高生、そして、大学生になった頃の自分の耳には馴染みのないものだった。ここ数年の間に、SDGs と共に耳にするようになったと思う。多様性というのは、理解できない相手に対して「それは多様性だから」と理解を放棄するものではないはずだと信じている。多様性の意味はコチラ。猫も杓子も歩く姿も多様性である。多様性といっておけば、なんとなく配慮しているか、理解しているようなお気持ちになれるのだろうか。よく分からない。

さて、2024年3月14日に いろ・いろ 色覚と進化のひみつ という絵本が出版された。冒頭に示したコラムの中では、色の数は文化に依存する(色の名前の定義の違い)を理由に挙げている。実は、そこからもっと小さなスケールに落とし込み「ヒト」にクローズアップすると、人の持つ色覚の型の違いによるものだということが分かる。そして、色覚の違いは、多くのヒトが持つとされる3種類の錐体細胞(R、G、Bの3色に対応)の組み合わせに依存する。

こうしたヒトの見え方の違いについて、絵本という形態を借りて科学的に説明した本が本書という理解である。子ども向けの絵本と侮る勿れ。40ページの絵本の中に、生物の進化、動物の色覚、ヒトノ色覚の進化の秘密、色覚の多様性、CUD(カラーユニバーサルデザイン)といった重要な要素が圧縮されている。そして、何より重要な点が、この絵本が大人と子どもが一緒に読むことを推奨されている点にある。その理由は、子ども向けの絵本であることに加えて、当事者(色弱)の子を持つ保護者にも知ってもらいたい内容だからであろう。そして、色弱は異常でも弱者でもない進化型の人類であるとポジティブに捉え直してもらいたいという願いによるものだ。つまり、色覚観(色覚感)をアップデートしてほしい。本来なら、色覚に正常も異常も無いし、正しい見え方というのもない(はず)。障害があるとすれば、それは社会の側にあると思える。

この絵本は、ただただ家庭だけにとどめておくのは勿体ない。
わたしも、2軒の身内にお贈りした。引き続き、普及活動を継続予定。そうしたら、続編が出るかもしれない。そんなわけで、幅広く、学校、図書館にも収蔵いただきたい。そして、多様性、色弱、それらに関連する教育活動の中で利用されることを希望する。

そして、最後に。
ぜひ、春休みに読む本の一冊に加えてもらえたら嬉しい限り。


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